第11章:「孫の教育に責任を持つ祖父母」

“1人の老人が亡くなることは、図書館が一つなくなることだ”

福山ゆり著アマゾン書籍「世界を動かすユダヤ人の子育て14の秘訣」から各章のポイントを簡単に掲載しています。 先回は第10章「 ユダヤ人を守った‘安息日の食卓’」編をご紹介しながら、「自分と家族に集中・再充電する時間」として‘家族デー’の大切さをお伝えしました。

孫育ては「自分が子育てする時には、味わったことがない喜び」

今回は「孫の教育に責任を持つ祖父母」編をご紹介します。ユダヤ式家庭教育では祖父母の存在が、とても大きいと言われます。トーラーやタルムードの経典学習時は特に、豊富な人生経験を持つ祖父母が、子や孫たちに残したい「人生が知恵を伝える絶好の機会」なのではないでしょうか。そのため“1人の老人が亡くなることは、図書館が一つなくなることだ”と言われるほどです。

すでに祖父母になった方は、孫育てをしながら「自分が子育てする時には、味わったことがない喜び」を感じる、と異口同音におっしゃいます。

「若い頃は生きるのが精一杯だった」
「朝から晩まで育児やら仕事に追われて、ゆっくり子供の声を聴いてあげる時間がなかった」、
「孫を通して、子育てがこんなに楽しく、意義のあるものだと気づいた」、
「死ぬ前に、もう一度人間として成長させてもらえた」

私の実家の両親も、義父母もこう話していました。

親世代と祖父母世代の役割分担

老人(祖父母)の知恵や経験を重んじる家庭文化、祖父母による孫教育の価値を知っているユダヤ人。親世代と祖父母世代の役割分担が上手くされていることで、深く&高く物事を分析し、判断する訓練を子供たちに提供する事が出来るのだと思います。

かつては日本でも3代世帯、孫育児は当たり前でした。育児経験のない若い母親にとっては、同じく経験不足な父親よりも「経験豊富な女性達の助け」が本当にありがたいものです。メデイアの影響の中で世論が段々と「3代世帯はメンドクサイ・わずらわしい」という理由で核家族化され、その結果、孤独な老人・親・子供たちが発生してしまいました。特に、多くの母親たちは孤独な育児を経験することで精神的&肉体的にも病んでいき、そんな母親の疲弊はストレートに子供たちに影響を及ぼしていきます。

命と伝統・文化・価値観の継承

私自身、子供たちが新生児の時は日本に帰国し、実家の母親のサポートを受けていましたが、最近は義母にも(悪い嫁とは思いつつも…)SOSを求める習慣ができました。3児の母親になり、仕事もしている身なので「甘えることができるなら、甘えてしまおう!」と思っています。(苦笑)学校の長期の休みのたびに子供たちを田舎に送り、祖父母と農作業をしながら、子供たちは都市と田舎暮らしを同時に経験しています。祖父母と沢山の時間を共有する、我が子達を見ながら、若い親たちが早急に「結果」を求める反面、祖父母の持つ「時間と心の余裕」は、子供たちの心をのびのびと大きくさせていくんだな~そんなことを実感しています。

祖父母にとっても、成長期の子供たちから受ける刺激は何よりの脳活になるようです。社会的にどんなに高いポジションを持っていたとしても、引退すれば‘ただの人’。けれども家族には引退がありません。祖父母になったからこそ味わえる人生のメンターとしての役割が存在し、子や孫へ命と伝統・文化・価値観の継承といった責任が残っています。

家族として継承したい価値観を共有

まだ小学生の我が子に対する時、私は自分自身が「祖父母になった時」を想像します。なぜなら私が施す家庭教育は(まだ見ぬ)孫たちにも後々影響を及ぼしていくからです。いつか、私の子供たちが「あなたのお祖父さんお祖母さんは、こんな方だったのよ」と誇らしく話してくれるでしょうか? まだまだ、到底そんな親にはなりきれていません。(汗)だからこそ、私はハブルータをしながら子供の声に耳と声を傾け、そして家族として継承したい価値観を共有します。

子供たちが親になった時、私と行ったハブルータの時間が「かけがえのない貴い時間だった、自分もこんな子育てをしたい!」そう思ってもらえば、私の育児はその時にはじめて成功した、と言えるのかもしれません。先は長い道のりですが、私自身の「祖父母としての準備期間」を無駄にせず生きていきたいと思います。

 

次回は第12章「ユダヤ人の驚くべき結婚観」編をお届けします。今回の内容についての詳細は、アマゾン書籍をご購読ください。↓

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